創業1915年
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「水信(みずのぶ)」の歴史は大正4年(1915年)、初代加藤信明が横浜で台湾バナナ加工卸問屋「水信商店」を創業したことにさかのぼります。需要が大きく伸びつつあった当時、移入※した青バナナを熟成室(むろ)で熟成加工し小売店に卸す移入加工業者として創業した「水信商店」はバナナ加工では草分け的な存在でした。
※当時台湾は植民地だったため、輸入ではなく、移入品と呼ばれていました。
その後、多くが参入して移入加工業者の数は全国で400ほどにまで膨れ上がりましたが、横浜港がバナナの主要入港地である地の利を生かし、「水信商店」は昭和12年(1937年)ごろには全国でも一、二の実績を誇るまでに成長しました。
「水菓子屋の信さん」と呼ばれていた初代社長の加藤信明。「水信(みずのぶ)」という社名のルーツです。
横浜駅西口は、先見どおりの発展を遂げ、当社もそれについていくように順調に成長してまいりました。昭和33年(1958年)には株式会社水信を設立、本格的に多店舗展開を進め、果実小売店と飲食店舗を次々にオープン。さらに、倉庫用地などの目的で不動産を取得し、現在の水信ビル事業の土台ができました。
当初パーラーと軽食だけだった飲食部門も、昭和40年代に入ってレストラン、ステーキハウスなどをオープンさせていきます。レストラン開店にあたっては、飲食部進出当初から相談に乗っていただいた東京のレストラン「小川軒」に指導をあおぎ、昭和48年(1973年)、飲食部門を株式会社水信ブルックスとして独立させました。
㈱水信ブルックスは現在、水信の100%出資会社となり、鉄板焼「知喜多」、ブラジリアンバーベキュー「トラヴェソグリル」、その他カフェなどを運営しています。